2018年 03月 18日
薄明かりを歩くのか光が見えては遠ざかるのか |
こどもを産んでこの方、別の次元にスポーンと飛ばされて、夜とも昼ともつかない薄明かりの中をずっと歩いてるような気がする。
振り返ってみれば瞬間瞬間必死で、今隣を見れば眠っているこどもは温かく柔らかで、ありがたさに畏れを覚える。
端から見れば幸せで、わたしも幸せだと答えるだろうし、現に答えている。
一方で、この世の膨大な諸々がわたしの指の間をすり抜けていくのを感じている。
正確には、なんら掴み取れていないということが、パラパラと脳に送られてくる信号で分かる。
ことばだけではない、わたしのからだも依然失われたままだ。
わたしはいつも傍に希望があることを信じているが、感じられていることとはまた別の話である。
こどもと共にもう一度生き直す機会を貰っている。
世界を感じられないまま、1秒ごとに成長していくこどもに置いていかれることを怖れているのかも知れない。
この離人感について記録しておくことに躊躇いを覚えつつも、後の自分の役に立つかも知れないと、残しておくことにする。
三月の夜。
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by hoopayumi
| 2018-03-18 01:19
| つれづれ